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笑点

このページは、笑点のメンバーや大喜利について紹介しています。

 「笑点」は、昭和41年春に放送が始まりました。当時のいろいろな寄席番組の放映に刺激されたNTVが作成したもので、司会者に真打ちに昇進したばかりの立川談志師匠を起用、番組のウリである大喜利のメンバーに桂歌丸、柳亭小痴楽(後の梅橋、故人)、三遊亭円楽(現司会)、林家こん平、三遊亭金遊(後の小円遊、故人)の各師匠が出演、座布団運びに三升家勝松(現・桂文字助)氏、翌年石井伊吉(毒蝮三太夫)氏が起用されました。「笑点」のタイトルは当時のNET(現テレビ朝日)系のトレンディードラマ「氷点(三浦綾子作)」をもじったものです。当初のテーマ曲は「笑点音頭(立川談志作詞・宮崎尚志作曲・歌はレギュラー全員)」でした。
 また、昭和42年秋には柳家さん治(現・小三治)、柳家小きん(現・つば女)、林家木久蔵各師匠たちの「若手大喜利」も行われました。
 ところが、昭和44年秋、司会と出演者がブラックジョークを巡る確執から出演者が降板してしまい、視聴率が下がったため、巻き返しとして、代わりに前田武彦氏が司会者、メンバーは三遊亭歌奴(現・円歌)、三遊亭金馬両師匠を中心に、桂歌丸、三遊亭小円遊、三升家勝二(現・小勝)、柳家さん吉、柳家小きん、林家木久蔵各師匠の八人に増え、座布団配りが三遊亭笑遊(現・円遊)次いで当時のアイドルだった小野千春氏がなりました。
 前田武彦氏は、現在でも流れている「笑点のテーマ」の作詞を担当しましたが、氏の司会は長く続かず、翌昭和45年暮れに、てんぷくトリオ解散直後で独り立ちしたばかりの三波伸介氏(故人)が司会者になり、メンバーも桂歌丸、林家木久蔵、三遊亭小円遊の各師匠の他に、三遊亭円楽、林家こん平両師匠が復帰、柳家小きん(後に三遊亭円窓)師匠が登場、座布団運びに松崎真氏が起用され、現在のようにメンバーの服の色も明るくなりました。当初の服の色とメンバーの持ち場の役は次のようになっています。

氏名 着物の色 ポジション
三波伸介 大家さん
桂歌丸 小言幸兵衛(いろいろ批判する人物)
林家木久蔵 与太郎(ボケ役)
三遊亭円窓 ピンク  
三遊亭円楽 訳知りの学者(星の王子様)
林家こん平 田舎者の権助(新潟出身者)
三遊亭小円遊 水色 キザな若旦那(ボクちゃんで有名)
松崎真 「手を挙げて横断歩道を渡りましょう」

 なお、服の色については、カラー放送開始時にテストパターン代わりとして使われた経緯があります。
 さて、三波伸介が司会になると、視聴率が大幅にアップし、昭和48年10月21日にニールセンが調査したときは40.5%と最高記録を樹立しました。
 昭和50年代になると、メンバーが変わるようになりました。円窓・円楽師匠に代わって三笑亭夢之助・三遊亭楽太郎両師匠が登場し、55年に小円遊が、57年に司会・三波伸介が死に、58年に円楽師匠が司会として復帰したり、林家九蔵(後の三遊亭好楽)、桂才賀両師匠や元ミュージシャングループずうとるびの山田隆夫氏などの出演を経て、現在に至っています。
 現在のメンバーは次の通りです(観客席から見て左から)。

氏名 着物の色 解説
三遊亭円楽 笑点黎明期からのメンバー。三波伸介時代の前半期に「星の王子様」として人気を集めた。後に弟子の楽太郎の登場で引退するも、伸介の死で司会者として復帰。彼を馬にしたり、「若竹」の借金ネタなどが出ると、必殺技「怒りの座布団没収指令」を出す。
三遊亭小遊三 水色 昭和50年代後半からの出演。笑点前半の「アナウンサー大喜利」で、楽太郎と共に司会を担当。大喜利では犯罪・貧乏・美形ネタ、そして「あ、これ内緒の話あるがね」が得意である。落語卓球クラブ副会長。明大出。
三遊亭好楽 ピンク かつては林家九蔵として出演していたが、桂才賀の降板で復帰。冒頭の挨拶でよく自分の母親の話をする孝行者(?)。何の特徴もない平凡なネタが多いが、むしろ素朴に感じられるものがある。
林家木久蔵 立川時代の「若手大喜利」からのレギュラーで、自他共に認めるバカ。とんちんかんなダジャレや勘違いをはじめ、時代劇やマゾネタが得意だが、ネタばれやとちりも多く、隣の歌丸にからかわれる事も多い。また、木久蔵ラーメンはスペインでも有名だが、こん平たちに「まずい」とか毒呼ばわりされることも。島根県美濃郡美都町に彼のアトリエがある。
桂歌丸 笑点黎明期からのメンバー。政治、メンバーの批判、恐妻家ふじこのネタが得意。自他共に認めるハゲで、これが原因で他のメンバーにからかわれることも。
三遊亭楽太郎 円楽の後がまとして登場。難しい知識ネタと、彼の必殺技「円楽馬呼ばわり」や「歌丸殺し」などのメンバーをからかうネタが得意である。しかし、それが災いして「腹黒」とそしられてしまう。青山学院大出。
林家こん平 笑点黎明期からのメンバー。「チャラーン」と雄叫びを挙げたり、歌ったりと他のメンバーより挨拶がうまいが、あまりにも時間が長い。地方ネタが得意で、地方公演になると、出生地を変えたり、おみやげをせびったりする。他に、チャーザー村(新潟県刈羽郡小国町千谷沢)や、山田を子作りや降板でからかうネタも得意である。
山田隆夫 昭和60年頃から登場。幼い頃から芸能をかじり、かつてはずうとるびというミュージシャングループにいたが、恵子さんとの結婚で引退。メンバーが降板や子作りネタなどを出すと、必殺技「怒りの没収タックル」で座布団を全部持っていってしまう。

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